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[建造物][その他][東与賀町]は6件登録されています。
建造物 その他 東与賀町
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町営住宅下古賀団地集会室
下古賀村落における新旧住民の融和と親善のためには、なんとしても邑の氏神様でありも一つは公民館(集会所)である。お宮はこの村のほぼ中央に在り、さっぱりした石造りの祠で船津のお宮から分祀されたものとの風説がある。年記は不明であるが、神仏混交時代のものではないか。表の鳥居は明治26年改築したと明記されてある。 このお宮の東側に最新式ともいうべき集会所が建設された。これは昭和53年度に工事費総額1.390万円の巨費を投じて建築された。正式の名称は「町営住宅下古賀団地集会室」で、町営住宅建設の一環として完成されたものである。この集会所で地区集会をはじめ、老人クラブ・婦人会・父兄会の外、農家の生産組合や女性グループ(大正会・昭和会)等の勉強会・子どもクラブの活動等、幅広く利用され活用されている。 村落の事業としてはお宮と集会所を中心に和やかに楽しく、次のことが行われている。大般若経は毎年2月11日(建国記念日)当番の家で開催する。祗園は8月1日、大祭と小祭は10月17日と11月25日に二組に分かれて施行する。川神祭は5月5日の男の節句であるが、一カ里と南小路と北小路の3班に分かれて行う。ここも藁舟を作り堀に流して子どもの水難予防と河川に対する感謝を捧げるのである。お供日は十月祭りとして、赤飯祭りは当番の番帳さん宅で盛大に挙行する。かくて時代は移り世の中は変わっていくが、農村の麗しい伝統行事は毎年毎年引き継がれ受け継がれて、現在にもなお生きているのである。
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中割公民館
村落の西部で作出の龍王神社に近く、しょう洒な建物の公民館が建っている。これは昭和39年の創立で室内に入ると、天井と壁の間には副業生産や農協に関係ある表彰額がずらりと掲げられて、ここに住む先輩の人々の勤勉と栄光を物語っている。その一つに昭和41年4月佐賀県農業協同組合連合会より、この中割の農協貯蓄額が1戸平均100万円を突破したことで感謝状と賞金を贈られている。いかにこの村が協力してがんばったか、そして家計も平均して豊かになったかが証明される。こうして昭和52年度には村の北部に面して、約1反歩の広々とした遊園地を完成した。これは圃場整備の余沢もあってできたもので、子ども等の遊び場と共に老人のゲートボール等、幅広い村人のいこいの公園として利用されている。
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梅田公民館
この村の南部広江橋に近く、梅田公民館がこの村発祥当時に見事に建設された。 公民館の新築には何分にも終戦後のことであったため相当の苦労が多かった。一度に多額の金を集めることは到底不可能のために、最初は各戸から5円宛の日抜き貯金を始めた。ところで自分たちの力でこの大事業完成を目指しており村落民の強い自覚と堅い決意もあって、予想以上に貯金は殖えていった。やがて5円から10円に更に20円と値上げして約8か年間の後には30円と格上げして見事に総合計約25万円の貯蓄高となった。これが公民館建築の基本金である。土地建物の経費合計約70万円也を使ったが、わが村の農協から40万円也を借用し多少の予備金もあって立派な公民館が完成しその落成式が行われたのである。その当時は年々と物価が上がる時代、高度な日本の経済成長の時代だったので、思い切って借銭をして敢行したことが幸いしたのである。この喜びは思えば村落梅田に居住した人々の団結と決意にあった。全く苦節20年の汗と油の結晶であったのである。
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中村公民館
今日の地区公民館は、かつての「青年会場」であるが、昭和3年5月に新築されたものである。50数年前の瓦葺き青年会場は、東与賀村内でも珍しい存在であるが、総工費約500円也でその資金は、当時十数名の青年諸君が相協力して働いた汗の結晶である。即ち大正12・3年頃から、各戸より石炭の注文をとり、佐賀市久保田駅前の於保石炭店から仕入れて車力で運び、これを各家々に配達し販売するのである。その頃は自動車もトラックも無い時代で、石炭の運搬は相当の重労働であったが、それだけに売価もかさんで収入金は予想以上に多額に上った。こうなると石炭だけでなく木炭の仲買いにも手掛けたり、女子の処女会員は菱の実を採集しこれを茹でて佐賀ん町中をふれ売り歩いて協力した。 特に稲刈りのすんだ田ん圃を借用して、仮小屋を設け1週間から10日間位の活動写真の上映は、実に大きい収入源となった。佐賀市内には宇宙館や大正館があったが、遠く離れたこの農村には娯楽機関には恵まれず、坂東妻三郎主演の映画など大いに受けて、毎日が大入り満員の盛況であった。木戸銭は20銭であったが、村内の有志や名士には案内状を発送して、その「御花」が1円も包まれて木戸銭の4・5倍に達して収入財源は益々ふくらんだのである。こうした当時の男女青年たちの協同によって約500円余の貯蓄ができ、これに村落よりの補助金を得て、待望した青年会場を見事に建築落成したのであった。
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松土居公園
江戸時代に築造された有明海岸堤塘の跡地である。大野土手沿いに整備された公園です。当時は松並木が延々と続いていたといわれる「松デー」が再現され、今では松土居公園の木々も大きく育ち、見事な景観を作り、まちの新しいオアシスとなっています。
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第二線堤防の石積み
有明海干拓で潮止めの役割を果たしてきた大搦堤防は明治4年に、授産社搦堤防は明治中期に築かれた最大規模の有明干拓堤防です。 現在も二線堤として機能し、道路としても利用され、石積みの景観がすばらしいことから2003年に、後世に伝えるべき土木遺産として土木学会選奨土木遺産に認定されています。 ※写真は授産社搦堤防