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[指定文化財][絵画][大和町]は3件登録されています。
指定文化財 絵画 大和町
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絹本著色普賢延命菩薩騎象像 一幅
重要文化財
脊振山地が佐賀平野に開ける嘉瀬川中流右岸の小高い所に、真言宗御室派河上山実相院がある。その創建は寛治(かんじ)3年(1089)、河上神社社僧円尋(えんじん)が河上山別所を開いたことにさかのぼるとされる。 当寺伝来の普賢延命菩薩像は、絵絹が三幅一舗、縦123.0センチメートル、横79.0センチメートルの掛幅装である。 大きな頭光を負い、頭上に五仏を戴き、顔は1面。手は20臂(ひ)(本)で、本手には金剛杵(こんごうしょ)、羂索(けんさく)、蓮華(れんげ)つき独鈷杵(とっこしょ)、金剛鈴をとる。他の16臂には輪宝や羯磨杵(かつましょ)、火災宝珠、三鈷鈎(さんここう)などの仏具をとり、蓮華座上に結跏趺座(けっかふざ)する。月輪(がちりん)(像を囲む円)下には、6本の牙を備え鼻で独鈷杵をとる4頭の象が配され、それぞれ頭上に四天王の一つを戴く。この図像は真言宗に特徴的なもので、特に「覚禅鈔(かくぜんしょう)」所収の図像によく似ている。 色彩的には、群青(ぐんじょう)を基調色とし、朱線でくくった白肉色の普賢菩薩や、朱線でくくり部分的に朱暈(しゅぐま)を施した白象を対比させる。持物や瓔珞(ようらく)、裙(くん)の文様などに金彩し、頭円光には五色の繧繝(うんげん)彩色(濃淡のある色の帯の繰返し)を施す。 目鼻立ちは細く、痩せた感じの丸顔で、体躯は痩身でなで肩。肩にかかる垂髪は賑やかな曲線を描く。 暗い色調や的確な表現、宋風の影響と特色ある図像などから、この絵は、南北朝時代に東密系の絵仏師により描かれたものと考えられる。
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木造湛然梁重坐像 一躯
重要文化財
湛然梁重(たんねんりょうちょう)(?〜1680)は肥前の生まれと伝えられる。初め三河国の寺にいたが、明暦年間(1655〜1657)肥前の月舟(げっしゅう)の推薦で高伝寺第11世住持となり、寺風の刷新に努めた。寛文9年(1669)円蔵院住職村了和尚による寺格昇格の直訴問題で湛然の願いがしりぞけられると松瀬の通天寺(つうてんじ)に去り、後年、華蔵庵(けぞうあん)を建て移り住んだ。「葉隠」の述者山本常朝は青年時代に湛然に教えを受け、大きな影響を受けた。 像高は59.0センチメートル。挿首、前後矧合(はぎあわ)せで彩色、払子(ほっす)、手首、曲録(きょくろく)(椅子)は後補で昭和9年再彩色が行われている。なお挿首の墨書「天祐 現住 月枝 手作之」とあることから、天祐寺第10世住持月枝の作であることが判明した。
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実相院絵画 二幅
重要文化財
脊振山地が佐賀平野に開ける嘉瀬川中流右岸の小高い所に、真言宗御室派河上山実相院がある。その創建は寛治(かんじ)3年(1089)、河上神社社僧円尋(えんじん)が河上山別所を開いたことにさかのぼるとされる。 2幅の絵画は、いずれも愛染明王を描いたものである。愛染明王は、人の欲を菩提の心に変える力をもつ仏として平安時代から盛んに信仰された。 愛染明王像は身体は朱色で3つの眼と6本の腕をもつ通形の図像で、絹本着色、縦92.5センチメートル、横40.5センチメートルの仏画で、繊細な線と美しい彩色とで丁寧に描かれた佳作であり、本格的な絵仏師の手により室町時代に製作されたと考えられる。 両頭愛染明王像は、中世期に多くあらわれるようになった異形像の1例で、愛染明王に不動明王を合体させたものである。頭上の円相中には金剛薩埵の三昧耶形(さんまやぎょう)である蓮華上の五鈷杵(ごこしょ)が描かれ不動明王の眷族の矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦童子(せいたかどうじ)が愛染明王の持物である弓矢を構えそれぞれ獅子と象に乗って従っている。 絹本着色、縦99.8センチメートル、横36.8センチメートルで、制作は室町時代と考えられる。