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[指定文化財][建造物][大和町]は4件登録されています。
指定文化財 建造物 大和町
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与止日女神社西門 一棟
重要文化財
与止日女神社の創建は欽明(きんめい)天皇25年(564)と伝えられ、『延喜式神明帳』に「与止日女神社」とみえる。応保年間(1161~1163)肥前国一の宮になり、弘長(こうちょう)元年(1261)正一位を受け、明治4年(1871)県社となり、「与止日女さん」として人々に慕われている。 本殿西北方に西門と称する本瓦葺き、切妻造りの四脚門がたつ。 実相院文書中の棟礼(むなふだ)写しによれば、元亀4年(1573)の建立である。垂木は一幹、疎垂木である。妻は虹梁蟇股(こうりょうかえるまた)式で破風(はふ)には、ひれ付、拝懸魚(おがみげぎょ)、降懸魚(くだりげぎょ)、これらに木製菊形の6葉が飾られている。蟇股は彫刻のない板蟇股である。正面・背面の梁(はり)上の中備(なかぞな)えにも板蟇股を配し、中央の真束(しんづか)は角形である。 親柱は、円柱で、冠木(かぶき)を受け、脚部には唐居敷(からいしき)が付く。控柱は大面取りの角柱で、親柱と頭貫(かしらぬき)・腰貫(こしぬき)で固め、柱頭に大斗(だいと)、肘木(ひじき)を置く。親柱の外側は10センチメートル程度、平らに削られていて、ほぞに穴や釘跡がないので、おそらく門の両側に土塀か、石塀があったのかもしれない。 県内では最も古い時期の社寺建築で、価値が高く貴重な遺構である。
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実相院仁王門 一棟
重要文化財
実相院は、寛治(かんじ)3年(1089)、河上神社(与止日女神社)の僧円尋(えんじん)が、その裏山を開き御堂を建てたことに始まると伝えられている。真言宗御室(おむろ)派に属する。 与止日女神社西門から出て、石段を登るとこの仁王門がある。3間1戸の八脚門である。基礎は円形に近い不定形の花崗岩自然石で凝灰岩の布基礎で連結している。太い円柱を建て、これらの上部に三斗(みつど)、肘木(ひじき)を置く。また、下部を貫でつなぐという構架である。屋根は入母屋造り、桟瓦葺(さんがわらぶき)(本来は本瓦葦)。妻飾りは豕扠首(いのこさす)で、全体的に古めかしい。 天井は、小部屋部分は竿縁天井、門の部分は組入天井となっている。 この門の両妻部を板壁、両脇部の正面と内側の上半を格子として、その内部に仁王尊像を安置している。 仁王門の建立年代についての記録はないが、門に掲げられている「神通密寺」の額に「寛永二十年」(1643)とあり、門もこの頃とされている。屋根瓦、棟木、棟束、一部の間仕切り壁、格子などは後補のものだが、主要部分は建築当初の用材で、江戸時代初期のものである。県内に、この時期の様式を今に伝える木造の建造物はたいへん少ない。
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久留間六地蔵 一基
重要文化財
蔵福寺の境内入口に立っている六地蔵は、もと地区の南端にあったものを移設したものである。地表面からの総高2.04センチメートルで、竿石・中台・尊像・笠石・宝珠の5部分で構成されており六地蔵像の標準的な構成である。尊像は半肉彫りの六尊を円筒状に配したもので、合掌したもののほか、錫杖(しゃくじょう)と宝珠、経筥(きょうはこ)、妙鉢(みょうばち)などを持っている。一部破損が見られるが保存状態も良好である。 竿石正面には三列の線刻がある。 代□為成就現□□味之悉地當村中各々 奉彫刻地蔵薩埵六像 永禄四年辛酉季春廿日 本願快玄 とあり、永禄4年(1561)に何らかの願成就のために村中において建立されたものである。
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与止日女神社三ノ鳥居 一基
重要文化財
肥前鳥居は、肥前地方を中心に興った独特の鳥居の形式で、慶長年間(1596~1615)に特に造営が盛んだったことから、別名「慶長鳥居」ともいわれている。 肥前鳥居の特徴は笠木と島木が一体化し木鼻が流線的に伸びていること、笠木・貫・柱が三本継ぎになっていることである。柱に刻まれた銘文により、佐賀初代藩主鍋島勝茂が慶長13年(1608)に寄進したことがわかる石造肥前鳥居である。 鳥居額には『肥前鎮守正一位河上淀姫大明神』とあり、柱には「扶桑国肥前州路鎮守正一位河上淀姫大明神 奉建立石鳥居三柱 鍋島信濃守豊臣朝臣勝茂」とある。