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[神社仏閣][神社][北川副校区]は3件登録されています。
神社仏閣 神社 北川副校区
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西宮社
【祭神】蛭子尊、大己貴尊、事代主尊 人皇第78代二条院の御代、信濃の国伊那郡の武士で、本田大和守昭雲という者が、保元、平治の乱に亡命して、肥前の国杵島郡山口の里に来て仮りの住居を構えたが、かねて崇敬する摂津の国の西の宮の霊を夢に見て、神意に従い佐賀郡川副の荘角町治部という者の邸宅をたずね、承安2年(1172)神社を建て、同年9月1日、西の宮大明神を祀って、天下泰平、国家安全を祈願した。 後になって、龍造寺家門が深く敬い、神田などを寄進した。鍋島家が領主となって、いよいよ敬い、慶長9年(1604)、社殿を改築して、規模を拡大し、寛文2年(1662)10月26日社領として、23町8畝の地米2,882石を寄進した。 このように領主を始め村民の崇敬を集めたが、明治6年村社に列せられ、大正13年10月、さらに郷社に昇格して、今日に至っている。
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日枝神社
【祭神】 祭神は、大山咋神、八王子神、大物主神、岡象女神、武甕槌神、菅原道真 桓武天皇の御代、延暦23年(804)伝教大師(最澄、天台宗開祖)求法の勅願をこうむり、朝廷から還学生という身分を与えられ、遣唐使と共に、遣唐船に乗って中国に向かって船出されたが、途中嵐に会って波浪に押し流され、一つの島にたどりつかれた。あたりを見回わされたとき、この島は諸木が繁茂し、広い土地で、まさしく五穀豊穣の霊地であると感賞され、帰朝の折ここに船を留め、民家を建てられた。ここにおいて、当国万歳・諸難救済・国土安楽の守護神として仰ぎ奉らんと、大師は、比叡山(本山延暦寺)にあって、薫香の1本をもって、自ら山王の神像と八王子の神像を刻んで木原武藤の津に安置し、江上福満寺鎮護の神として敬われたのが、日枝神社の源で、大同元年(806)であった。 その後、戦乱のため社殿が焼失したが、龍造寺剛忠公により社殿が再建され、隆信公のご母堂が深く信仰され、その後も修復が続けられた。 慶長年間(1596~1615)、鍋島直茂公(日峯様)勝茂公(初代藩主)が柳川攻めの折、当社に戦勝の祈願をこめられ、帰陣後直ぐに社殿、神門などを新しく造営され、1反余御免地、御紋付、幕、提灯(ちょうちん)などを寄進され、その後も藩主の尊敬あつく、修復時には、時を移さず修造された。 明治6年2月村社となり、明治45年1月、国から神饌(せん)幣帛料供進の指定を受けた。その後、氏子の各地区の無格社、石仏、道祖神などが、境内に合祀されている。 祭りは、儀祭2月24日、春祭4月15日、夏祭7月15日、秋祭11月23日の4回行なわれ、大御田祭が申歳に、4月15日を中心に13日間の大祭として行なわれている。 境内の西南の角に、脱腸の神様(ガランサン)と熱の神様が祀られていて、昔から参詣(さんけい)者が多く霊験あらたかな神として評判が高かった。今の台座は、全快のお礼に奉献されたものである。 その他、石造文化財として、天満宮石祠、天照大神宮、アク大神宮及び延享2年(1745)寄進の常夜燈など多く存在している。 このほか、古くから続けられているおかゆ開きの行事がある。節分の日に、おかゆを炊いて神前に供え、2月15日に下げて、かゆに生えたカビのつき具合で、米の豊凶、天候災害、火災、怪我、病気の流行などが占なわれて、参詣者も多い。
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八坂神社
【祭神】素盞嗚尊 後宇多天皇、弘安4年(1281)の勧請(かんじょう)である。その後、寛永19年(1642)、藩主鍋島勝茂が社殿を造営し、時々、与賀、川副両郷のため、五穀豊穣、悪役転除の祈願を行った。 明治6年1月、村社に列せられ、大正元年11月26日、神饌幣帛料供進の指定を受けた。 同じ境内に、粟島神社がある。女性の守護神、病気平癒、商売繁昌の神として、全国に聞えている。施薬の神「大黒天」及び諸病、諸難を救い給う「少彦名命」を祭神とし、俗に「粟島大明神」として、広く信仰を集めている。 約1,300年前、人皇20代孝徳天皇の世、大財村にいた役行者(えんのぎょうじゃ)が金剛山に参籠して、「大黒天」を感得し、霊像を刻んで、ここに祀った。また、霊夢によって、「少彦名命神住吉宮」を勧請し、これを合祀して、船乗りの守護神として、敬われた。 足利の戦いのとき、戦火で焼失したが、鍋島勝茂が、八田津の祇園宮(八坂神社)の側に造営されて今日に至った。最近では女性の参拝者が少なくなかったが、毎年母子連では、粟島社を招いて、針供養を行なっている。 なお、勝茂公夫人から奉納された雛人形が保存されている。 外に、鍋島町東新庄の埋立地にあった猿田彦の大神など30柱が、境内に合祀されている。すぐ近くの公民分館の横に、「イボ地蔵」が祀られており、イボ取りに、大豆を年の数だけ上げて、祈った後地中に埋めておくと、豆が腐ってなくなるときには、イボが治ると言うので、参詣する子ども達がある。