検索結果 RESULT
[神社仏閣][寺][巨勢校区]は7件登録されています。
神社仏閣 寺 巨勢校区
-
法専寺
浄土真宗本願寺派で撫松山法専寺と称し、本尊は阿弥陀仏立像である。この寺は永禄年間池田主馬(法名善教)開基とされている。その由緒について伝えるところによれば、主馬は兵庫町牟田寄の豪族で、その昔大友勢が佐賀に乱入した時、龍造寺隆信に従い、一族百余騎を率いて軍に加わり、豊後勢を巨勢野に破り、敵将臼杵式部少輔以下多くの敵兵を破り大功を立てたという。その功績に対しての恩賞の時、考えることがあって、隆信に請うてこの寺を建てたと言われている。初代藩主勝茂の時から、南無阿弥陀仏6文字になぞらえ、御切米6石を下賜された。当時の将の鎧兜が寺に残っているそうです。
-
安福寺
記録によると、大徳山と号して臨済宗東福寺派で開山は君山和尚、本尊は阿弥陀如来と伝えられている。この地の豪族であった井原氏と関係の深い寺だったとも言われている。裏に井原氏の墓が並んでいる。明治になって新しく住職が来られて浄土真宗に変わった。
-
竈王院(かもういん)
竈王院の本尊は阿弥陀如来、開山は応誉上人、開基は竈王童子とされていて浄土宗である。元徳4年(1332)4月の河上神社の記録に「巨勢荘竈王院那禅坊知行免田三町」と記録されており、当時巨勢荘の荘園納品を扱っていたようである。大変古い寺のようであるが、今の浄土宗になる前は天台宗だったとのことである。天台宗は平安時代に出来たもので寺の古さが想像される。
-
円満院
巨勢神社の神宮寺であった円満院は神社の北側にあって後鳥羽院の建久5年に阿増法印がこの地に開き、明星院と号したが、火事で焼けてしまった。後、後土御門院の時、増範法印という人が再興して円満院神幅寺といったと言われている。 明治7年、牛島村と高尾村でこの円満院に牛島小学校を開設した。 これが巨勢小学校の始まりである。 明治以前には神社と寺院が同居するのは当然で寺が神社を守っていたのである。円満院の住職の墓が整理されて残っている。
-
応永寺跡
東西の西、寺町に廃寺跡になった応永寺跡がある。入口に戦国時代のものと思われる六地蔵がある。 臨済宗東福寺派で境内426坪、壇徒85人との記録がある。戦国の頃、小田直光が鎌倉より来佐のおり建立したと言われている。
-
長江寺
臨済宗妙心寺派、本尊は薬師如来、由緒は蓮池藩創祖鍋島直澄公、年月日不詳建立とされているが、近所の人で守っている。 ※写真は保食神社敷地の様子
-
龍津寺
蓮池2代藩主鍋島直之が長子直富を弔うために建立した寺で化霖を開山としている。黄檗宗で宝寿山と号し、総本山万福寺の末寺で本尊は釈迦如来であったが、昭和20年に空襲に遭い焼けてしまい、再建ならず、小さな庵が造られている。管理は大財町仏心寺である。 今、中央に売茶翁顕彰碑が建てられ、入口に六地蔵と観音像が建っていて、六地蔵には文政元年、藤崎長蔵、観音像には神田と刻されている。 また、小田資光や、化霖などの歴代和尚、柴山家の墓などがある。