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[神社仏閣][その他][大和町]は4件登録されています。
神社仏閣 その他 大和町
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大般若経 六百巻(玉林寺)
正平25年(1370)より建徳3年(1372)にわたり写経されたもので、沙門比丘令虎が肥後国山鹿郡南庄目野山満光寺で写経している。それがどうして玉林寺に伝えられたか詳かでない。菊池一族の戦勝祈願のためのものではないかとも想像されるが、とにかく六百巻にわたり写経されたものは年代的にも珍らしく貴重な文化財である。
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蓮の蔓陀羅(実相院)
育児観世音と弘法大師を織り出した二面の作品である。これは佐賀県が生んだ世界的偉人大隈重信の母堂三井子刀自が、蓮の糸をつむぎ(中に絹糸を混ぜている)織り出した刀自信仰の結晶とも言えるもので、88歳とあるから高齢でありながらよくもこれだけの作品を仕上げたものである。実に美事な珍らしい作品である。
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一字一蓮の法華経 八巻(実相院)
経文の一字ごとに蓮台の模様を描き込んだ珍らしい物である。寛政12年(1800)庚申4月22日、千葉忠助の写経になったもので、実に繊細美麗な筆蹟である。この経巻を4月10日からのお経会中、講堂中央の御輿の中に納める。
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山門額(実相院)
古くから仁王門に掲げられていた「神通密寺」の額は従来堀川天皇の勅額と称され(佐賀郡誌)ていたが額の裏面に 「後陽成院一の宮仁和寺御室一品覚深大王御真翰 寛永二年 尊純賜之」 の刻銘と 「二王尊額共明治三十六年復修」 の文字が朱書されている。覚深大王は後陽成天皇の皇子で仁和寺(実相院本山)の御門跡(皇室の子弟がなった住持)である。 以上のことから考察すれば、寛永2年(1625)に賜った額を当時の山門に掲げていたが、正保元年(1644)に仁王門が創建されてから移し掲げたとみるべきではなかろうか。