泰長院文書(一〇五通)十二巻

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泰長院文書(一〇五通)十二巻

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■所在地佐賀市与賀町 泰長院
■文化財指定状況佐賀県 重要文化財
■文化財指定日昭和59年3月21日
■登録ID5288

泰長院は、天文5年(1536)龍造寺大和守胤久によって建立された曹洞宗の寺院。もと今の佐賀城内にあったものを、慶長年間(1596~1614)佐賀城構築の際、現在の地に移された。現在は、臨済宗の南禅寺派に属している。
泰長院に保存されている文書は、全部で105通あり、これを大小12軸の巻子に仕立てられている。これを大別すると次のとおりである。
1、龍造寺氏から当院の住僧にあてた書状。隆信(2通)政家(2通)高房(5通)村田安良(2通)
2、鍋島氏から当院三世住職是琢和尚にあてた書状。直茂(10通)勝茂(18通)
3、肥前国内諸家その他からの書状。江上氏、神代氏、元佶和尚(各1通)
4、文禄慶長年代朝鮮役のとき、敵国諸部将から鍋島直茂にあてた書状その他(62通)
5、是琢の日記(朝鮮在陣中のもの1巻)
上の内、1,2,3の肥前国内関係のものは、おおむね私信といってよく、寒暑の見舞、物品贈答の添状謝状、また茶事の招状などである。この私文書によって、是琢(ぜたく)が直茂、勝茂父子といかに親密で、かつ信任されていたことが知り得られる。
一方、4に属する朝鮮軍部将の書簡は、ほとんど講和についての内容をもっており、直茂が戦闘部隊の指揮官の外、外交についての重要なものであることを特記しなければならない。
この寺に、これだけの重要文書が遺されているのは、泰長院の住職是琢が直茂に従い渡朝し、外交担当の要人として渉外に関与していたからである。また、5の是琢日記も貴重な文献である。