大木喬任誕生地 | さがの歴史・文化お宝帳

大木喬任誕生地

所在地 佐賀市水ヶ江三丁目
登録ID 2425

出典資料から記載

【大木喬任】天保2〜明治33年(1831〜1899)
幼名幡六、民平。 父は彼の少年時代に若死、母の手ひとつで育つ。15歳の時佐賀藩校弘道館に寄宿、秀才、あだ名知恵者。必要以上の人に交わることを嫌う風があり孤立独行して思索することが多かった。弘道館時代、歴史学を得意とした。枝吉神陽、副島種臣らの影響もあって大隈重信らと勤皇運動に参加。鍋島直正に版籍奉還を強く説いた。江藤新平とともに連署して、岩倉具視に江戸を東京と改め遷都、治安の基礎を固くするよう建言した。明治元年東京遷都が実現した。明治維新では大隈、副島、江藤らと藩主直正を補佐した。新政府では参議、文部、民部、司法卿などを歴任し、法典編さん、学制の整備に努めた。学制(国民皆学制度)発布。(義務教育のはじまり)
新政府は喬任の学識に期待することが多く外国事務局判事となったが明治2年初代東京府大参事(現在の都知事)となった。明治18年元老院議長、枢密顧問官、同議長なども歴任、明治32年病没。子息遠吉も司法大臣をつとめた。旧宅地には父子2基の記念碑が建つ。
明治9年から10年にかけて、九州地方を中心に不平士族の反乱が相ついで起こり、喬任は司法卿として最高の取締り責任者として萩の乱や神風連の乱には、現地に赴き、法にてらして公正な裁判を行い、処刑を決定した。
出典:あゝ佐賀城その歴史と周辺P35

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