石井樋

石井樋

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■所在地佐賀市大和町大字尼寺
■年代近世
■登録ID2216

石井樋は、嘉瀬川から多布施川へ水を分ける取水施設で、治水の神様といわれた成富兵庫茂安の指導により、元和年間(1615~1624)に造られたとされる。取り入れられた水は佐賀城下の生活用水や農業用水として使われ、石井樋には、土砂の混じった川の水を象の鼻、天狗の鼻など石で作られた施設を組み合わせて土砂を沈め、きれいな水にする工夫がされたり、流域の水害を防ぐはたらきも持ちあわせている。
しかし、昭和35年(1960)嘉瀬川上流に川上頭首工が造られ、石井樋の役目はいったん終わったが、平成5年より調査・発掘・保存などを行ない、平成17年に現在の石井樋が復元された。
また、石井樋のある石井樋公園内には、「石井樋のすべて」、「成富兵庫茂安の生涯」、「佐賀平野の水」をテーマに学べる資料館である、「さが水ものがたり館」が平成17年12月4日に開館しており、石井樋の機能などを映像や模型を使って紹介されている。

出典:石井樋公園さが水ものがたり館パンフットさが水ものがたり館ホームページ

石井樋という名称は本来、石でできた樋門という意味で、多布施川入口の3つの樋門を指すが、いつの頃からか、その呼び方が施設全体の総称となった。
1.石井樋の構造と特徴
大井手堰で嘉瀬川の水を堰き止め、象の鼻・天狗の鼻という施設で造られた導水路で水を一旦逆流させて井樋の方に導き、ノコシという堰で水を堰き止め、井樋を通って多布施川に水を流す。ノコシを越えた水は、更に二ノ井手で堰止められ、岸川作水という水路に流れ、二ノ井手を越えた水は余水として水路を通って嘉瀬川に戻る。特に工夫をこらし、石井樋の特徴になっているのは象の鼻・天狗の鼻で造られた導水路で、この部分を使って一旦、水を逆流させることによって水の勢いを緩め、緩めることで水の中に含まれた砂を下に落として、きれいな水だけを下流に送るようにしていることである。

 

出典:佐賀県大和町の文化財(P4)

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