光徳寺 | さがの歴史・文化お宝帳

光徳寺

所在地 佐賀市東与賀町大字田中242番地
年代 中世
登録ID 1225

出典資料から記載

【名称(山号)】冨永山 光徳寺
【宗派】浄土真宗本願寺派
【本寺】願正寺
【創立年代】慶長19年(1614)正月26日慶長年代福岡在住の福岡惣右衛門が当地に移住し、鍋島勝茂公に仕えていたが、老後出家して摂取山光徳寺を建立した。しかるにその娘冨永亦は局役として勝茂公に仕えたが、後尼となり、父の寺で主君の武運長久を祈った。寺号を冨永山光徳寺と改む。
【開基】了玄法師・慶長19年正月26日入寂。
【沿革】
光徳寺第1世了玄(1614年)本尊阿弥陀如来金色(慶長2年勝茂公朝鮮陣立卜伝)大正11年4月5日に火災、幸いにも本尊と過去帳は無事搬出され、本堂は大正14年再建された。
【宝物・文化財・世代墓所等について】阿弥陀如来像(木造)勝茂公朝鮮陣立卜伝「朝鮮御陣所御持越阿弥陀佛寄進」光徳寺初代福岡姓の墓、妙春尼之碑(本堂南側に在り)
【その他の特記事項】
光徳寺12世乗船教師・遺子富衛法師大正13年朝鮮清津で死去(福岡姓)於此光徳寺血統断絶・明治12年武内村円楽寺12代獅山三男昊嶺入住於此寺(松橋姓)
御本尊の阿弥陀仏は、陣立如来である。その昔豊臣秀吉公が朝鮮出兵の折、鍋島勝茂公が持ち帰ったことから「陣立如来」の名が生まれたという。この「陣立如来」のお陰で、出兵は大成功のうちに終了した。勝茂公はこの阿弥陀仏を大切に持ち帰り、その没後その乳母が出家し「妙春尼」となってこのままこの光徳寺に祀った。これが始まりであると言われる。この「妙春尼」の墓は、当山累代の墓地内にあって、ありし日の婦徳が偲ばれる。
松橋の姓については光徳寺の北側には昔広い池沼があり、その水際に1本の松の大樹が聳えていた。去る年暴風雨の際横倒れにたおれたために、その松を橋にして向う岸へ渡っていた。そのころから「松橋」の姓が生まれた由。前住職故松橋好忍(明治16年10月16日生)が生前中に物語ったという。
【その他】
境内坪数 3反3畝歩(田1反8畝・畑1畝・宅地1反歩・墓地4畝歩)
檀徒戸数 50戸
出典:東与賀町史p1140

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