「嘉瀬津住民の流れ」

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■所在地佐賀市嘉瀬町
■登録ID81

嘉瀬津は、昔、戦国期に海氏・平氏・源氏の所領であったり、武雄・多久・小城藩主の領地にもなったり、江戸期には鍋島藩主から久保田領主の領地になる。今の大字荻野は、昔は荻野村で嘉瀬川の西にある集落だった。
嘉瀬津は嘉瀬川の河港として船舶の出入り多く有明海の七つの津の代官所があった。
嘉瀬津の河港は、年貢米の集積また積出しの為、馬車利用の運送者や生活用品の製造販売者、技術者として鋳物製造・井戸堀り・酒造・寺や民家の建築士・石や・菓子製造者等、商店では呉服・小間物・日用雑貨店等の店が立ち並び、千人からの住民が住んでいた。
十を数えた寺も、現在八寺あるが、鍋島藩主の許可で、殆どが外の地区からの持ち込み寺である。河港の機能が無くなるや久保田領主は、寺は残して、住民を主に久保田の土地に移住させた。
その後の嘉瀬津は、主に住宅地になる。

出典:嘉瀬津よもやま話(P.8)