「かせ津の地質上の誕生」

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「かせ津の地質上の誕生」

■所在地佐賀市嘉瀬町
■登録ID80

 北に連なる脊振山地は約1億年前、地下の深所で生成した火成岩が地殻変動により隆起し山地を形成したものと考えられている。
 佐賀平野は、1万年前頃嘉瀬川などが山地を侵食して大量の土砂を運搬し、有明海の潮汐作用と相まった沖積平野である。
 約5千年前(縄文時代)満潮位の線は、金立・高木瀬・森田・四条・生立ケ里を結ぶ線。
 約2千年前(弥生時代)JR長崎本線が陸地の南限。
 陸地化のスピードは百年で、川副1kmへ東与賀0.5km、久保田0.35km 、嘉瀬ごくわずか。
 600年前嘉瀬中原、300年前嘉瀬新町、150年前嘉瀬新地籠造成誕生。
 720年前の元冦以後干潟荒野が干拓の対象となる。荒野とは葦原のことだが、嘉瀬津にあちこち葦の立っている堀や凹地が見られる。かせ津は、有明海の凹地でもあり潮の満干を利用したよい船着き場であった。

出典:嘉瀬津よもやま話(P.7)