西光寺重松基吉の墓

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西光寺重松基吉の墓

■所在地佐賀市本庄町大字末次909
■年代近代
■登録ID782

西光寺に重松基吉が葬られ、その墓があります。基吉は、佐賀の七賢人の一人島義勇の弟です。藩校弘道館で学び、藩主閑叟公に重用されて上佐賀代官、横辺田代官から、江戸藩邸の公用人となりましたが、明治維新後は無役となり、明治7年(1874)に起きた佐賀戦争では、兄義勇、弟副島義高と共に憂国党の幹部として活動しました。佐賀戦争では政府軍に敗れて、2月13日、中川義純と佐賀を脱出し鹿児島に潜行したが捕縛。佐賀で臨時裁判が開かれ、義勇、基吉、義高三兄弟ほか10人、合わせて13人が最も重い罪に処せられました。佐賀ではこの処刑された人を、十三烈士と呼んで称えています。
齢52歳。
辞世の詩歌
 死なば死なん 生くとき生きん
  二つなき 其の負ふことの 道に尽さん

出典:かたりべの里本荘東分P.57本荘の歴史P.122ワークショップ中野和彦氏寄稿

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