大應寺比翼塚

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大應寺比翼塚

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■所在地佐賀市北川副町大字新郷
■年代近代
■登録ID777

佐賀市北川副町大應寺境内には軍国比翼塚と江副次郎、江副美子さんの二つの墓が建っている。
今は語る人々もなくひっそりと八田江の流れを背に寄り添っている。
次郎さんは元本庄村長の江副九郎氏の二男で、早稲田大学高等学院卒業後昭和11年4月入隊、その後中支江南の流洞橋の激戦に参加し惜しくも戦死をとげた。
美子さんは井上作次郎氏の三女で、次郎さんとはいとこにあたり婚約者であった。
昭和13年4月13日に次郎さんの戦死を知った美子さんは、5通の遺書を残して4月15日に数珠を片手に後追い自殺をなした。その顔は微笑さえ浮かべ美しかったという。
昭和13年6月11日次郎さんの遺骨が門司港に無言の凱旋をした。美子さんの遺骨も江副家に入り、14日本庄村葬に続いて、魂の結婚式が行われた。
美子さんは「長崎女人」に属する歌人で遺書とともに8首の辞世の歌を残していたので全国から多くの同情が寄せられた。美子さんの遺作は栗原荒野先生の紹介で佐々木信綱博士の推敲のもとに遺稿集『散りにし魂』が出版された。美子さんの死は当時戯曲化され、東京の常盤座で上演されたという。
 春深む 江南の野に 魂散りて 君は護国の 神となります
 春の夜は 真深く更けて せきあぐる 己がなげきの 泣く音聞ゆる 〟美子〟
 (豊増幸子著 『肥前おんな風土記』より)

出典:かたりべの里本荘東分P.89本荘の歴史P.130

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