正里の地名考

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正里の地名考

■所在地佐賀市本庄町
■年代中世
■登録ID724

正里は始め新村と呼んでいた。元亀元年(1570)8月19日鍋島直茂が川上村(現大和町)今山における大友八郎軍本陣へ夜襲の際、新村から農民が鍋島勢に加担し大勝利をおさめたので地名を「勝利」と称していたが、何時の頃からか、年貢取立帳等に「正里」と書き損じたのを踏襲したといわれている。現在も正里と称している。
明治22年市制・町村制実施の際に厘外村の一部であった正里を本庄村に編入した。
永享3年(1431)6月24日大内盛見(徳雄)が大軍を率いて佐賀の鹿子の塁を攻めてきたが、少貳満貞、資嗣等力を併せてこれを防ぎ、盛見は鹿子において敗れ、松浦へ敗走し、遂に糸島郡深江において敗死した。
正里(勝利)、灰塚等の地名は、この戦いにおいて起ったと言う。

出典:本荘の歴史P.50