陽泰院様物語

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陽泰院様物語

■所在地佐賀市本庄町
■登録ID721

鍋島直茂がまだ龍造寺隆信に仕えていた頃の事である。ある日出陣のお供をして、上飯盛の石井館に昼食のため多勢立ち寄られた。不意の来訪に石井常延を始め家臣一同、おかずの調達に当惑していた。すると常延公の姫君彦鶴(陽泰院)は、慌てた気色もなく、赤だすきもかいがいしく、庭一杯に藁を敷き、その上に塩鰯を打ち撒き、藁で覆い火をつけた。
打ち上がる火勢を一同何事かと見ているうちに、姫君は火の消えるのを待って、程よく焼けた鰯を集め箕で選り分け、熱湯をかけて即席の肴として供応された。
これを見て、隆信始め居並ぶ家臣一同は、姫の機転のきいた接待振りに驚嘆の眼を見張った。とりわけ直茂は「あのように頭の働く人を女房に持ちたいものだ」と彼の心をとらえた。
当時直茂は31歳を過ぎ、既に前妻と離別していたと思われる。間もなくその彦鶴(29歳)と縁談が整い正妻として迎えた。
石井氏は藤原鎌足の末裔で、下総猿島郡石井郷に住んでいたが、千葉氏の縁故で肥前に来たという家系である。当主は兵部大輔常延で、その娘彦鶴が鍋島直茂の正妻になってからは、ますます石井一門は栄えた。
直茂が執心した相手だけに、むつまじく、数多い直茂の逸話には、いつも夫人が陰のように添っている。
太閤秀吉が名護屋に在陣の時、九州の大名の妻女を招かれ、遊興された時、陽泰院にも「出るように」と言って来たので、幸蔵主(太閤の侍女)に頼み断ったが、あとで幸蔵主から「身勝手を許すと例になるので、一度は出かけるように」と言って来たので、額の髪を剃って角が生えたようにつくり、みにくい面相で出かけ、お目見えになり、それ以後は出かけなかったという。

出典:かたりべの里鹿子P.7本荘の歴史P.60