高平と「長専寺」「高平寺」

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高平と「長専寺」「高平寺」

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■所在地佐賀市巨勢町
■登録ID681

修理田451番地の堀に囲まれた一角を長専屋敷と呼ぶ。ここには昔「長専寺」という一大寺院があったと言われる。その東北の角には大正時代まで1本の巨楠と薬師堂があった。今は「ヤクシドウ」という地名として名残りを留めている。またその南を「サラマチ」、西南を「寺町」と呼び、竹薮からは墓石が発見される。
なお、この地は古文書によれば「古溝が里」と記され、今宿江と巨勢川の合流地であり、佐賀東の入口として重要な船運の地であり、交通運輸の中心地であった。
長専寺の北には高平寺があり、いつの時代からか一帯を「高平」と呼ぶようになった。高平寺は大友宗麟の佐嘉城包囲の際焼失したと伝えられる。
現在の巨勢町の中心地、高尾・平尾などは後年開けたので高平の尻尾の意味だともいわれ、昔の高平とは現在の西分・東分下・東分上を称した。

出典:巨勢P.30