椋鳥(シガ)とり場 

  1. 自然
  2. 検索結果
  3. 椋鳥(シガ)とり場 

椋鳥(シガ)とり場 

■所在地佐賀市兵庫町
■登録ID593

柴野地区の東方、原口宅の前方から墓地にかけての一帯を、椋鳥とり場という。その東にある堀の向こうは犬童地区である。明治の初年頃までは幾十町歩にわたって犬童竹の林であった。犬童丸というかわいい小児を失った父親が悲しみのあまり、1本の小竹(にがま竹)を墓前に植えたのが、年のたつにつれ繁殖して犬童林という広い竹林となった。
ここに幾千とも知れぬシガが群集していたので、同地方の領主であった鍋島山城守(後に河内)が、時おり、うさ晴らしに家来を引きつれてシガ狩りを催された。
その捕獲の方法は、要所要所に待ち構えていた狩人たちが、ころを見計らって、鷹の羽を先端につけた竿をヒュッ、ヒュッと振りまわすと、空のシガの群はその羽音に驚いてすっすっと地面に下ってくるところを網師が上手に引っ掛ける。一網打尽とはこのことだろう。幾千幾百のシガは、哀れにも網の中でかしましい声をあげる。
得意満面の殿は家来と水ヶ江のお茶屋に帰りを急ぎ、その都度、山城守は柴野の光円寺や塘宅で休息された。シガとり場の南方を調練場と言い伝える。山城守が領内の武士を集めて、時折調練を行なっていた所だという。

出典:兵庫町史p230