下分方面の寺院跡 

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下分方面の寺院跡 

■所在地佐賀市兵庫町
■年代古代
■登録ID588

千住の経島寺が兵庫町に現存する最古の寺院であるが、下分には千住から牟田寄にかけて、寺院跡と称するものが多く残っている。光明寺跡、阿弥陀寺跡、伽藍跡、それから少し離れて本明寺跡、有通寺跡などがそれである。どれも牟田寄地区にある。またその間に、点々として井田観音、井田屋敷、弥吾屋敷、弥吾橋などの跡が続いている。しかもこの地方から古代土器、オグラと称する砥石、石造りの厨子などが発掘された。これらのことから察すれば、牟田寄方面は昔(奈良朝前後)堂宇、伽藍が立ち並び人家もかなり集まっていたものと思われる。
平重盛が千住の霊地を選んで経島寺を建てたというが、当時、同地方は仏教の聖地として世間に聞こえた所であった。光仁天皇の宝亀7年(776)、佐賀郡の大領(郡司)正七位上・佐嘉公児公が安居会を設け、戒明法師(大安寺住職、大徳の僧、筑紫国府の大国師であった。)を招請し、信者たちに八十華厳経を講義させ、大いに仏教を奨励したとあるが、本郡の仏教がなかなか盛んで、下分あたりはその一中心地ではなかったろうかと考えられる。

出典:兵庫町史p40