至誠光千住秀作の記念碑

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至誠光千住秀作の記念碑

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■所在地佐賀市兵庫町瓦町
■年代近代
■登録ID542

千住秀作氏は靖国道総帥者下田一太郎氏の御訓を受け嗣ぎ昭和6年より信仰の道に入られ仲く御訓の真理を悟りひたすらに信仰のみちに没頭。一時は仕事も忘れ夢中に成られし事もしばしばなり。氏が信仰を始められて数年後医学博士より胃癌と診断を下された事有りたるが氏は顔色一つ変えず自宅にもどり断食坐禅水行とあらゆる難行苦行を重ねてついに薬一服も飲まず斯く難病を克服せられたり。夫れ以後は病気で困った人は誰彼を問わず信仰の真理を訓し御加持を授け病気を全快させその当時は千住病院とまで人にいわれたほどなり。又数年前より整骨手術まで致され専門医より速やかに全快致せり。斯様にして助かりし人実に数えきれず。又氏は全快しても金品の返礼は固く断られすべての欲得を放れ人のため世のため無報酬の御奉仕。氏は病気の全快することを本人よりも悦ばれ全く凡夫を捨てられし姿こそ正しく生神と神子一同始め氏の御訓を受けし者等しく崇め奉る所以なり。又氏は総て神通力に依り神霊の言葉ほとばしり信仰の誠を説訓されるときは我々神子も不思議さ神の慈悲の有り難さに感涙する事しばしばなり。此所に至り氏の業績を顕すために神子一同総意の本に記念碑を建立して氏の功績を永久に賛へ奉る者也。
以上は氏の功績のほんの一部にすぎない。
しらぎくのみおしえさがすしせいこう。
敬白謹書
碑文
至誠光千住秀作の記念碑
昭和三十五年三月二十一日建之
佐賀先輩者神子一同
発起人 西 亀太郎

出典:ワークショップ(牟田氏)

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