蓮池公園

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蓮池公園

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■所在地佐賀市蓮池町城内
■年代近代
■登録ID338

寛永16年(1639)に蓮池藩が開かれて以来、歴代の居城であった蓮池城(世人俗に「御館(おやかた)」と称す)は、明治維新により廃せられた。当時の蓮池藩知事鍋島直紀は、明治4年11月、蓮池県が伊万里県に統合されるに先立ち、9月に蒲田津から船便で東京麻布の私邸に移った。明治10年、火災によって旧館の過半が焼失したので、村民一同、その跡に池を作り、山を築いて松杉桜等の植樹を行って、これを蓮池公園(芙蓉公園と称した時期もある)と名付け、園内に蓮池社を造営して歴代藩主の霊を祀り、もってその遺徳をたたえた。
さきに8代藩主直與は、幕府若年寄、寺社奉行に推挙されたが、鍋島本藩の阻止に遭い、帰って退隠し、かつての庭園を拡張して天賜園を作り風月を友とした。天賜園は、現蓮池公民館(公民館の建物には、今も天賜園と銘のある屋根瓦がある)の東、北方一帯に広がり、江湖の流を巧みに取り入れ春は梅と楊柳が美しく、夏は青葦によしきり、五位鷺の声を聞き、秋は穂葦の中に櫨の紅葉が映える名園であったと伝えられているが、今は浄国寺に伝わる『天賜園絵図』によってそのたたずまいを偲ぶに過ぎない。
蓮池公園には、この天賜園にあった帰田の詩碑、敏謙神社、天満宮、春日社、宗像社、稲荷社が移されているが、その発想の基礎は天賜園にあると思われる。蓮池公園は、鍋島子爵家から国へ寄贈され、蓮池村から蓮池町へ、そして昭和30年の佐賀市合併によって現在は佐賀市営公園となって、グラウンド、子ども遊園地も整備され、染井吉野を始めとする桜も多く、市民の憩いの場となっている。
西名の人、野中十蔵は直與の命により柔術を学び、その技において名声の高かった士であるが、また計画立案に優れていて、與衆館の新築、羽州出兵の記念碑、蓮池社前の石橋、踊舞台等、すべて彼の関与したものであり、公園の改良についての彼の力は多大であったと伝えられている。

出典:芙蓉P.91

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