英彦山まいり

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英彦山まいり

■所在地佐賀市嘉瀬町
■登録ID32

 佐賀藩鍋島家と縁の深かった英彦山権現への長途の参詣をすることを「英彦山まいり」と言った。(享保14年 1729年英を加えて英彦山となる)これは、3・4月頃の農閑期に集落毎に行われた。このおまいりと関連しているのが権現講(彦山講)であった。講は年1回集落毎に行われ、この講で「英彦山まいり」の当番が3〜4名順番で決められていた。鹿児島線・長崎線の鉄道が開通してからも一泊二日のおまいりであった。土産には必ず札に「英彦山ガラガラ」という土鈴と「飯しゃもじ」それに英彦山の生笹を付けて家毎に配ることになっていた。厄除け、一家安全・繁栄の御利益を祈願した。
英彦山権現の青銅鳥居は初代勝茂の寄進であり、神殿の改築も鍋島藩主の寄進であった。そして、嘉瀬有重の徳善院に英彦山の分霊を祀り「徳善院権現」または「徳善院英彦山」とも称した。徳善院は、歴代藩主の祈願所となっていた。つまり徳善院は鍋島藩と英彦山権現とのパイプ役をつとめていた。「英彦山まいり」が集落毎に行われるようになったのは、このような藩と英彦山権現との長い歴史を通じての深い因縁によるものであり藩の指示もあったと思われる。このように長く続けられた「英彦山まいり」も戦後は殆ど行われなくなった。けれども、一部の集落では今でも行われている。

出典:嘉瀬町史 (P.150〜P.151)