春日神社伝説

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春日神社伝説

■所在地佐賀市富士町大字麻那古
■登録ID2901

 「大野坂城、しれ石の殿さん墓」
從五位左衛門行高は、藤原鎌足の7代の子孫藤原秀郷の7代目の子孫である。源頼朝は行高が平家に属せず、源氏に忠誠を冬尽くしたので、近江国神崎郡常富庄嘉村名の地頭職に任じた。
 嘉村行高から5代目の左近将監俊行は、弘安2年(1279)9月、探題千葉介宗胤が肥前に下向した時、宗胤に従って小城郡に下向して来た。そして休息所を賜り、麻那古村大野坂に城を築いてここに住んだ。それ以来子孫は麻那古に任ぜられ、十余代つづき嘉村備後守に及んだ。嘉村備後守の子内記に嘉村新左衛門尉と右衛門尉と助五郎と言う3人の兄弟があった。嘉村備後守一族は龍造寺と近かったのか、新左衛門は弘治元年(1555)神代勝利と戦い、池原で戦死した。その弟右衛門はその戦いで麻那古の和田で衆寡敵せず討ち死にした。嘉村備後守の弟嘉村左衛門大夫は、龍造寺隆信の島原討伐に参加して、華々しい戦死をした。

出典:富士町史下p.819〜p820