鍋島大水害(28水)

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鍋島大水害(28水)

■所在地佐賀市鍋島町
■登録ID2676

嘉瀬川はいつもおとなしくて、恵み豊かな流れであるが、昔から怒ると荒れ狂う本性を現わす暴れ川といわれてきた。
昭和28年6月24日から連日土砂降りの豪雨が降り続き、佐賀測候所始まって以来の月間雨量を記録したと新聞は報じた。水害が起こる数日前から田圃は浸水し、大人の膝あたりまで水嵩が増していた。各地区との間の田圃の畦道や農道も堀も一面湖と化し、ただ見えるのは堀端の大きな柳の木や高い樹木だけであった。田植時期なのに自分の田圃が何処にあるのか見定めのつかない状態であった。
連日の豪雨で岸川地区の堤防は随所に漏水箇所があり、消防団・青年団・地元や周辺地区の人が中心に徹夜の応急補強作業を行ったがそのかいもなく、午前8時40分に堤防が決壊し、一瞬にして鍋島全村を濁流が襲いかかった。蛎久地区の東を迂回した濁流は角目・新村を襲い、西に向った濁流は津留の真中を突き抜けて鍋島小学校をめがけて波頭を高く押し寄せてきた。藪や柳はなぎ倒され、作業小屋は流され、わら小積みが小舟のように傾き流され、出荷前の菜類や麦の俵が濁流に浚われて、想像をしたこともない地獄絵図を見るような情景であった。最後まで堤防の上で蛎久区長として監視を続けていた石丸久光氏は奔流に飲まれ殉職された。
直ちに水害対策本部を設け、水勢が渦巻く中250mに及ぶ決壊の復旧作用は難航を極めたが、必死の作業で仮せきとめに成功した。(7月15日午後2時30分 締切日出動人員7,111名)

出典:鍋島公民館創立60周年記念事業

石丸久光氏について
元陸軍工兵中佐。蛎久出身。明治45年陸士卒。大正3年青島戦に戦功抜群にて、近衛隊附となり昭和7年予備役となり帰郷し、青年学校指導員となり郷土青年の指導訓練に精進し、昭和12年村助役に推され、村政に参画し村民の信望をあつめた。終戦後村教育委員長として教育振興に全力を傾注した。昭和28年6月大水害当時蛎久区長として消防団青年団員を指揮して徹宵堤防補強作業を続けたが、26日午前8時40分決潰し、最後まで堤防上にて警戒中の彼は濁流に呑まれ殉職した。至誠剛直で愛郷心が強く、鍋島の発展と教育の振興に、青年の様な夢と熱をもって活躍した人であった。

出典:鍋島町史第1篇(P77)