法常寺

法常寺

■所在地佐賀市鍋島町大字蛎久1975(岸川)
■登録ID2612

 明治初めの廃仏毀釈で寺は壊され、その後再興されたが現存する資料はほとんどない。
 しかし、昭和63年の本尊修復工事の際に仏像の体内を詳しく調査したところ、「聖寿比丘が法常寺の住持であった大永7年(1527)4月8日に、伊勢の国(三重県)の六十六部宋須が寄附を募って資金を調達し、筑後国江上庄佐々渕に住む春香という法眼位を冠する仏師に依頼し、この薬師瑠璃光如来を供養した。」と言う記録があった。
修繕の供養や彩色の供養をしたということから、製作年代はもっと前に遡ることになる。 
 仏像は182.8cmの立像で頭体部を通して前後2材矢引の構造で、楠の木を材料に作られ、極めて地方的な色彩を残す室町時代の作例として貴重であるとの博物館職員の見解であった。
 寺の住所は「岸川」となっているが、小字の通称は「西長瀬」いう。檀家の皆様さんは「西長瀬のお寺」と呼ばれている。人工河川の多布施川を造る際に長瀬地区(現在の高木瀬地区)が分断されたため、西地区にあったお寺は鍋島地区になっている。

出典:住職からの聞き取り

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