観音寺

観音寺

  • 観音寺
  • 観音寺
  • 観音寺

■所在地佐賀市鍋島町大字鍋島701
■登録ID2601

 鍋島家の旧御館森には天満宮及び観音寺を観請されていたが、年月が経つにつれ旧跡地は荒れ果て草木が茂り、周囲農民の耕作にも支障があると申し出があったので、藩祖直茂は祖先発祥の地を荘厳にするため、西側の地を拓き観音寺を移転し鍋島家菩提寺とした。これは天文21年(1552)高伝寺建立まで続いた。なお経秀一家は代々あつく仏教に帰依し、天下泰平、萬民和楽の祈とうを続け、天明2年(1782)8代藩主松平肥前守治茂の代に本堂を再建し、田畠三町八反永代寄付し、寛政5年(1793)(※1)には観音堂改修のため三百両を寄進した。本堂には鍋島家初期の藩主過去帳及び位牌が安置してある。
鍋島伊勢守経秀
鍋島三郎兵衛経尚及内室
鍋島教頼及内室
鍋島治部大輔清直及内室
鍋島治部少輔栄実
鍋島平右衛門清久
鍋島駿河守清房
鍋島加賀守直茂
鍋島信濃守勝茂
(※2)

※1『佐賀県近世史料第10編第2巻』記載の観音寺の由緒(p399〜400)によれば、寛政元年(1793年)5月。
※2『佐賀県近世史料第10編第2巻』記載の観音寺の由緒(p399~400)によれば、鍋島伊勢守経秀公、鍋島三郎兵衛尉経尚公・室、教頼公・室、鍋島治部太輔清直公・室の御石塔・御位牌とあり、他の位牌については記録がない。鍋島治部少輔栄実については、どういった人物なのかは不明。

出典:鍋島町史p.156〜157

地図