蛎久天満宮

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蛎久天満宮

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■所在地佐賀市鍋島町大字蛎久1448
■年代古代
■登録ID2599

 後冷泉天皇の天喜2年(1054)太宰府天満宮から御分霊を勧請し、奉祀して文教の祖神、誠の神として氏子発展の産土神として村民の崇敬を集め今日に至っている。
 なお天満宮は太宰府天満宮、水田天満宮と共に鎮西三大天満宮といわれていたが、元亀元年(1570)大友の乱で焼失してしまい、元亀4年(1573)に龍造寺隆信が社殿を造営し龍造寺代々の信仰があつく、また鍋島氏となってからも初代勝茂、二代光茂、三代綱茂などの信仰が深く、神殿、拝殿、付属建物も造営された。
 天喜2年本社創建にあたっては、菅家の子孫中願寺、岩松両氏が社職に任ぜられた。当時は17ヶ所の末社を有し、神領は二百余町に及び、権勢は地方に冠たるものがあった。
 そして同社に祀った神像は水鑑の一軸で、道真公生存中池水に影を映して自ら写したものであった。なお本社は明治4年村社に列せられ、明治中頃までは春秋2回の祭典(3月25日、11月25日)には門前、東西に休憩所を設け、一の鳥居までは両側に売店や見世物小屋が並び、参詣人織るように多く盛況であったという。

出典:鍋島町史p.153〜154

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