行学塾

行学塾

■所在地佐賀市材木
■年代近代
■登録ID2571

 材木1丁目の本経寺の山門に「行学塾」という木片がかかっていた。塾の経営者は住職の籾井恵学、対象は旧制中学生で塾生は10名前後であった。
 英語の教え方は独特で、先ず前回出された宿題のテストから始まった。従って宿題をなまけるとついていけない。また英文法などは「名代動形副前接感」などとお経式で教えられた。
 行学塾の名の通り躾面でも厳しく、勉強中は座り机に正座、玄関の履物も「地震や火事の時はだしで飛び出すのか。」と出船型にきちんと並べることが求められた。
 また土曜の夜は本堂の御本尊前で坐禅があった。正座して耳と肩は一直線、へそは垂直、ひざはこぶし一つ開け、手はせい下丹田において生卵をそっと抱くように組み、腹式呼吸をできるだけゆっくりし、蚊がきても払うな、というものであった。もちろん15〜6歳の中学生、煩悩の滅却どころか足のしびれと柱時計の音だけが気になっていた。
 その他寒い冬の朝でも水をかぶるように言われ、自らも井戸で水かぶりを示してくれた。これを実施したか否かはテスト用紙に○×で報告した。この水かぶりは年齢とともに冷水まさつ、乾布まさつと変わってきたが、たしかに風邪の予防にも役立っているようである。
 こうした厳しい一面だけでなく、古湯まで自転車で登ってレクリエーションをしたり、黒髪山登山に連れていったりする面もあった。ここで学んだことは塾生の一生の心の糧となった。
 なお、終戦の頃高木町観照院の住職となられたが、戦後生まれの人も観照院の塾で学んだ人がいるので、後年まで塾はあったらしい。

出典:谷島俊四郎