佐賀龍谷学園発祥の地-願正寺

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佐賀龍谷学園発祥の地-願正寺

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■所在地佐賀市呉服元町6-5 (願正寺)
■年代近代
■登録ID2535

西本願寺の第21代、明如門主は真宗教学の振興、青少年の育成のために、新しい学校制度を促進した。その一環として佐賀でも県内の真宗寺院が協同して、明治11年4月に、願正寺内で小教校が発足した。はじめは振風教校と名付けられたが、西肥仏教中学となり、さらに第五仏教中学に改められた。生徒数が増え、校舎が足らなくなったので、明治36年に、現在の水ヶ江の地に移転した。その後明治41年4月からは私立龍谷中学校として新たなスタートを切った。
「龍谷」の校名は、願正寺第11代住職の熊谷広済初代校長が、京都東山にある親鸞聖人の御廟(大谷本廟)に詣でた折、「龍谷山」とある山号の扁額を見て決めたということである。この「龍谷」の校名は、その後、京都の龍谷大学(大正11年命名)以来、旭川龍谷高校、札幌龍谷高校など、真宗関係の多くの学校に付けられたが、佐賀だけは、佐賀の地名を入れず、龍谷中学、龍谷高校と称している。最初からその校名であり、他校がそれと区別して校名の最初に地名を付けているのである。
昭和53年には創立100周年を記念して、当寺参道に「振風教校跡、佐賀龍谷学園発祥地」と刻まれた記念碑が本学園より建てられている。

出典:創立百周年記念誌「ああ龍谷の流れは清く」他

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