城下町から県都へ

城下町から県都へ

■所在地佐賀市(赤松)
■登録ID2499

佐賀戦争後、市勢は振るわなかったが、県民の再県運動が功を奏し、明治16年5月、長崎県より分割独立して、今日の佐賀県が誕生。新しい県庁舎が城内に置かれ、佐賀県の政治・経済・文化の中心都市として立ち直った。旧藩時代にあった洋式工業の機械類は政府が買取り、東京に運ばれて、海軍の必要な兵器をつくった。そのため佐賀では平和産業に切りかえ、精煉方では硝子製造を行い、ランプやコップなどをつくった。鉄工業は反射炉で働いていた谷口氏が鉄工場を長瀬町につくり、福岡の東公園にある日蓮や亀山上皇の銅像をつくるくらいの大手工場も生まれた。しかし製品市場に遠隔という欠点や工業用水の不足、また佐賀平野の農地面積が比較的大きく、農業による収容人口が大であり、余剰労働力は北九州や京阪神の大工業地帯に吸収されて、地元に就職する人が少ないなどで工業は伸び悩んだ。明治維新とともに藩主以下有能な士を出した佐賀も、これらの人材は中央に出払い、その後の人材の多くは、軍人や政治家、官吏に偏し、産業人になる人が少なかったためとされている。そのため佐賀市は県庁の所在地でありながら、人口・市勢ともほとんど発展しないのどかな町の典型とされ、第二次大戦時も大きな戦災もなく戦後を迎えた。

出典:佐賀城下みて歩きP2