佐賀の役招魂碑

  1. 旧佐賀市
  2. 赤松校区
  3. 佐賀の役招魂碑

佐賀の役招魂碑

  • 佐賀の役招魂碑
  • 佐賀の役招魂碑
  • 佐賀の役招魂碑

■所在地佐賀市水ヶ江一丁目
■年代近代
■登録ID2432

明治7年佐賀戦争で戦死や処刑された江藤新平、島義勇ら216柱を弔うため明治18年に建てられたものである。明治6年司法卿当時、征韓論を唱えて下野した参議の江藤新平は佐賀に帰り、征韓党を組織した。また秋田県令島義勇も職を辞して佐賀に帰り、憂国党を組織した。ともに征韓論を強く支持し、勅許を得ようと動きまわった。一方政府は佐賀の不平士族を鎮圧するため岩村通俊を佐賀県令に任命。岩村は熊本鎮台の兵を引きつれて入城した。これに刺激された両党士族約5,000名が政府軍と相対した。2月16日戦端は開かれ攻防10日余佐賀軍は敗退した。毎年4月13日、佐賀戦争の戦死者の霊を祀って慰霊祭が行われている。

出典:あゝ佐賀城その歴史と周辺P51

地図