宗龍禅寺

宗龍禅寺

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■所在地佐賀市水ヶ江1丁目1-13
■年代中世
■登録ID2417

 正式名は、金剛山宗龍禅寺(龍造寺隆信公の法号「法雲院殿泰巌宗龍大居士」に因んで定めた)。
 天正16年(1588)5月、龍造寺山城守隆信公の冥福を祈る菩提寺として、佐賀藩祖鍋島直茂公が佐賀城、城内の鬼門に建立し、城の守護神として崇拝した由緒ある名刹である。現在まで400年以上の永きにわたり連綿と法灯が守られている。
 本尊釈迦如来を祀り、大本山を吉祥山永平寺(福井県)とする曹洞宗の禅寺で、佐賀藩主より石高(地米)200石、寺領19町8段(19万6364㎡)、敷地(鋪地)8段6畝6歩(8588㎡)を拝領していた。当時、200石を佐賀藩より拝領されていたことは、如何に藩主が龍造寺家に対して配慮していたかをうかがわせるものである。
 慶長12年(1607)江戸で自刃した隆信公の孫、駿河守高房の遺骨を泰長院からこの寺へ移葬したが、不祥事が続いたので別に天祐寺を建ててそこに祀った。(これが、「佐賀猫化け騒動」の発端とされている)
 隆信公の墓も明治4年、高伝寺へ移葬された。
 山門を入って北側に日支事変の際、江湾鎮の旧戦場で壮烈鬼神を泣かしめる最後を遂げた典型的な葉隠武士、空閑昇少佐の墓がある。
 裏の墓地には、「佐賀の夜桜」で有名な日本五大騒動の一つである「猫化け騒動」で怪猫を退治したと伝えられる忠臣小森千左衛門(講談では小森半左衛門となっている)の墓がある。
また昔、神埼郡三田川村箱川を領していた佐々木四郎高綱が宇治川先陣の用いた鞍をこの寺に納めたと伝えられている。
 明治7年の戦争の際には、中立党であった前山精一郎一派の集会所になっていた。

出典: 佐賀の栞(大正15年佐賀県発行)、史都佐賀の観光読本(昭和11年佐賀市観光協会発行)、トラベルガイド佐賀(昭和46年主婦と生活社発行)

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