山津村(郷制以降)

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■所在地北川副
■登録ID2392

(増田村、深町村、犬尾村を含んでいる。)
小字の山津村は、長安寺を中心とする集落で、明治7年の佐賀戦争の激戦地であり、新川改修から用排水の重要な地であり、明治になって、大字光法に編入された。犬尾村の寛政元年(1789)の巡見録には、石高777石余、人数340人と記されている。龍造寺と小田両家の激戦地であり、佐賀戦争の戦場ともなった。かなり大規模の農業が営まれていた。村の中心に光教寺がある。明治になって、大字光法に編入された。またここには村長もされた村医の今井正太氏がおられた。

出典:わが郷土北川副町の歴史P49