円山と鎧岩

円山と鎧岩

■所在地佐賀市大和町
■登録ID2335

 鎮西八郎為朝は源為義の8番目の子で小さいころから豪胆不敵、傍若無人に振舞うという暴れんぼうであった。
 そのためか父の不興を買い13歳の時九州に追われ、後で肥後(熊本)の阿曽忠国の婿となった。剛弓で有名だが、その為朝が九州へ下向した時のことである。為朝は7尺5寸(約2.3m)の弓を持ち、黒羽の矢で、高さ1丈3尺(約4m)、幅1丈余(約3m)の円山鏡石をめがけて射的の練習をしたという。弓を射た場所は川上川をはさんで対岸の八反原で、ちょうど川面に高い崖を作っている曲り角上方の大きな岩である。この岩を鎧岩と呼んでいるがこれは円山から約1kmの距離である。円山は国道から約20mくらいの高さで、周囲は岩石であるが内部は盛土のようである。この円山から少し北方の有ノ木という地区の旧道の山際に高さ80cmの地蔵が建っているが、これは当時下田の旧道を通っていた無名の行脚僧が、為朝の流れ矢に当たって死亡したといわれ、村の人が不憫に思って地蔵を建立して供養したという。(昭、16)
 この仏を拝むと足痛に御利益があるということで、参拝者はみな「わらじ」をあげて祈願をしたと伝えられている。
 円山も今は国道263号線拡張のため、半分が削りとられて往年の姿は見られない。

出典:大和町史P.669〜670