大願寺の浮立

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大願寺の浮立

■所在地佐賀市大和町
■登録ID2289

 大願寺の浮立も平野と同様10月15日のお供日の日に五社明神の秋祭りに奉納していたものだが、戦後は復活しないままになっている※。鉦浮立で天衝舞を伴い平野浮立と大同小異である。大願寺では安永年間(1772~1781)、文化年間(1804~1818)、明治の頃の古い記録が残っているが、その中今を去る安永3年(1774)の記録の中に「浮立諸道具相調候貫銭目安」というのがある。これは浮立に使う道具類を新調した決算報告書で、貫銭というのは、地区の各戸からぬき集めた寄付金のこと、目安というのは予算以外に決算の意味もあるということである。
「安永三甲午歳浮立相改帳」という記録があり、これには68名の名前を書き列ねその後に次のように記録している。これは花山院氏の訳文を借りることにする。
 「当村の浮立道具が紛失したので祭礼ができなくなり、村中相談の上、この催しも中止していたが、いつまでもそのままにしておくわけにもいかず、道具を新調再興し神事も整えねばならないので金銭、穀物の寄進をうけ太鼓一つ、中太鼓四つ、鉦一つを整えた。以後は怠ることなく浮立を催すことである。不足の品はまた翌年にも受けついで整えたらよい。万事について利己に働き我がままをしてはいけない。今後は神社仏閣を先ず第一と考えることが大事である。」
 この記録でわかるように浮立は信仰のための一つの行事であり、古老は「神社仏閣を第一と考えよ」といい、このためには「万事について利己に働きわがままをするな」と後継者に書き残したのであろう。

※地元の人の話では戦後復活をしている。

出典:大和町史P.826〜829