蓮の蔓陀羅(実相院)

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蓮の蔓陀羅(実相院)

■所在地佐賀市大和町大字川上947
■年代近代
■登録ID2144

 育児観世音と弘法大師を織り出した二面の作品である。これは佐賀県が生んだ世界的偉人大隈重信の母堂三井子刀自が、蓮の糸をつむぎ(中に絹糸を混ぜている)織り出した刀自信仰の結晶とも言えるもので、88歳とあるから高齢でありながらよくもこれだけの作品を仕上げたものである。実に美事な珍らしい作品である。

出典:大和町史P.593〜594

明治三年大隈重信は大蔵大輔に任じられて、母を佐賀から東京に呼び寄せた。三井子の東京生活は暇があれば神社仏閣を参詣したが、祈るところはわが愛児重信が、身体つつがなく、立派な働きをしてくれることであった。とくに重信が四十二歳の厄年に達しようとする時、この厄年を無事通過するように願いをこめ、明治七年から十年まで、四か年にわたり、上野不忍池の蓮の茎から手まめに蓮糸を繰り出し、この蓮糸を京都西陣の五代目伊達弥助に頼んで、悲母観世音間曼陀羅四十二福を織らせ、これを有縁の寺々に納めた。その壱幅が菩提寺の龍泰寺に奉納され寺宝となっている。
蓮曼陀羅は巾十五センチ、長さ三十センチほどの小幅で厨子の中に飾られているが、これが蓮の糸かと思われるほど精巧な美しいものである。
この曼陀羅の一幅は当時の皇后陛下にも献納されたが、陛下は非常に喜ばれ、御歌を下賜された。
  清らなる蓮の糸一すじに
     祈りし老の心をぞ思ふ
三井子刀自は明治二十八年一月元旦、九十才で逝去した。会葬者一万人、両陛下から勅使が遣わされた。ただ英雄の母というだけでなく、深い信仰をたたえて勇敢にこの世を生き抜いた悲母への称賛の集いでもあった。

※ 大隈三井子が奉納した織物は観音像と弘法大師像の2種類あり、観音像は明治10年以降、弘法大師像は大隈三井子88才の時(明治26年頃)の奉納と伝わっている。
※ 『類題昭憲皇太后謹解』(三室戸敬光 編、中央歌道会、大正13年発行)の220頁に「右明治十一年大蔵卿大隈重信の老母が年月とりあつめし蓮の糸もておりいでたる仏像をたてまつりしを見そなはして下し賜へる」とあり、この歌が紹介されている。
※ 西陣織協会の藕糸織(ぐうしおり)観音像の紹介文から、「蓮糸が用いられているところは文様が施されている絵緯の部分のみ」とされている。

出典:市報さが昭和50年9月1日

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