野口の大願寺(廃寺)

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野口の大願寺(廃寺)

■所在地佐賀市大和町野口
■登録ID2132

 野口の堤を北へ約200m行った所に天満宮がある。その参道の途中から右に、更に北へ登ること約200mの所が大願寺廃寺跡である。
 天明5年(1785)の村絵図を見ると、上佐嘉北原村にはすでに光沢寺、常立寺、最明寺観音社もあり、深江信溪が私財を投じて再建した永明寺(廃寺)も現大和住宅団地の場所に描かれている。大願寺はこれらの寺社に比べて大きく描かれ、仏殿は南面し、入口の門内右手に鐘楼、左手に東面した建物(祠堂か)がある。ここを更に登った新堤の北側(現在蜜柑園)が開山堂跡で、そこには今も開山以下第7代までの和尚の墓が並んでいる。開山の墓石には
 「元禄十五年、門弟子等敬建、於万年山開山青海東大和尚」と刻まれている。
 享和元年(1801)3月31日、平田常四郎書御祈願寺社の中から、大和町関係の分を挙げると春日山高城寺、河上山実相院、万年山大願寺、水上山万寿寺の文字がある。
当寺の由緒記(臨家宗より)には、
当寺の儀玄梁院様(三代綱茂)新に御建立遊ばされ、御開基なされ成青海を開山に相定めらる。御公儀並御国家御安全の御祈祷仰せらるにつき且亦江戸御屋敷御祠堂に被為立候。御本尊さて又御代々御先祖様御位牌、開山に御渡永々御焼香頼みなされ候。因って茲に御本尊は仏殿に安置奉り、御位牌は御祠堂に安置奉り、開山より以来只今朝暮の勤行怠りなく候。開山住職の間は諸国の学人(勉学僧)数十箇集会致候。其節迄は寺領等の御定これなく、飯料其外一切の入方毎歳会所より差出され相済仕り候。二代の時法性院様(四代吉茂)御代寺地二町五反七畝御寄附。且又飯料の為八木(米)二十石宛毎年下しおかれ候………(以下略)(註 成青海は青海東のこと)
 右之通り御座候 以上  寛政元年(1789)酉七月 大願寺 看坊祖関
圓通寺納所禅師   
 山号寺名は旧川上村大願寺廃寺からとって名付けた記録がある。この寺がいつ廃寺になったかははっきりしないが、第7代月澗錫大和尚の墓石には文政元年(1818)寂とあるから、その頃までは存続していたと見るべきである。

出典:大和町史P.550〜551

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