万寿寺(お不動さん)

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万寿寺(お不動さん)

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■所在地佐賀市大和町大字川上1109(水上)
■年代中世
■登録ID2112

 仁治元年(1240)神子和尚が開山した寺で、四條天皇から「水上山輿聖万寿寺」という寺名をもらったといわれる臨済宗の寺である。本尊は神子和尚作と伝えられる不動明王である。
 「鎮西要略」並びに「開山行業記」の中に『大治五年(1130)水上山に善住という異僧がいた。天台宗の僧で、ここで不動の法を修すること多年、天がその仏心に感応してその年の五月二十八日丑の刻(午前二時)に宝剱を下された。天皇のお言葉によって一旦宮中に収められたが、瑞相がしばしば起るので再び水上山に返された』とある。この宝剱といわれるものは現在寺宝として保管されている。
 春日山高城寺を開山した順空和尚(後の円鑑禅師)は当山第3世である。永正14年(1517)64代天亨和尚は龍造寺隆信の曽祖父家兼の弟で、後柏原天皇より勅願寺の綸旨を賜り勅願第1世となった。9世是琢和尚は鍋島直茂公の御側役として文禄の役の時朝鮮に渡り、彼の地より画幅を持ち帰ったものが残っている。梁の武帝離宮の図や蓮鷺の図、特に十六羅漢の仏画は明国仇英の画風を伝える貴重な物といわれている。旧藩時代は鍋島家の祈願所となっている。
 現在の堂宇は明治5年火災後再建され、その後もまた時々修理されている。当寺の墓所正面の五輪塔が神子和尚の墓で、向かって右側の無縫塔(卵塔)が勅願寺第1世天亨和尚の墓である。

出典:大和町史P.173〜179

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