庚申講

庚申講

■所在地佐賀市川副町
■登録ID2036

 60年あるいは60日ごとにめぐりくる庚申の夜には、三尸(さんし)の虫が睡眠中の身体から脱け出て天に昇り、天帝にその人の罪過を告げるから生命を奪われるという庚申信仰は、もと道教の説であった。したがってこの夜は、庚申講・庚申待などを組織し、夜を徹して語りあい酒食の宴を催す風があった。一般には室町時代に普及し、本県においても江戸時代になると各地に講が結成されたことが、各地に建立されている庚申塔によってうかがわれるが、江戸時代の庚申講は神道の影響を受けて庚申を猿田彦とし、仏教では腕六本の青面金剛と信仰の対象が分化しているとされている。
 町内の庚申講については、その内容は不明であるが、石塔が残ることから江戸時代中期頃から盛んに催されていることがわかる。

出典:川副町誌P.781〜P.782