七福神

七福神

■所在地佐賀市川副町
■登録ID2014

 『沿革誌』には、七日正月に七福神のふん装で豆まきをすることが記されているが、犬井道でも明治末年頃まで、青年が「七福神」のふん装をして、各家を回り歩いた。古老の記録も薄れかけて不明な点もあるが、県内での採集例が少ないので述べておく。
 家を訪れると全員で「七福神が舞いこんだ。舞いこんだ。」と叫びながら座敷に上がり車座になる。最初の者(不詳)が「今年はよしよし、銭もかに(金)もわくわく」という。次の者(不詳)が「げにはもっとも げにはもっとも」とあいづちをうつ。大黒(大袋を肩にかけ横槌をもつ)が「鬼はホキャー、福は内」といって畳をたたく。再度、「げにはもっとも げにはもっとも」といい、手に持った飯杓子で畳をたたく。次いで恵比須(鯛を釣った竿をもつ)が「エベス三郎左衛門殿の金のツイ竿五色の糸で、花ムコ鯛を釣りあげた」とのべる。弁財天(女性にふんしビワをもつ)が「それもそうでござんすもんね」という。
 七福神は大黒神・恵比須・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の7人の福徳の神であるが、正月に人々がふん装して集落の家々を訪れ歩く習俗として全国的に分布している。
 こうして各家を訪れた青年達には振舞い酒が出されたという。なお、参考に有田町南川原地区の七福神行事を記す。
 有田町南川原地区 七福神
○実施日時 毎年正月6日 夕刻
○参加者及び道具
提灯持ち 2名(それぞれ提灯を所持)
ざる持ち 1名(一斗ざるをもつ)
大黒天  1名(木槌をもつ)
恵比須  1名(釣竿と紙で作った鯉をもつ)
毘沙門天 1名(背にミノをつけ、スリコギ棒もしくは樫の棒をもつ)
弁財天  1名(琵琶をもつ)
布袋   1名(団扇をもつ、腹はソーケを入れてふくらかす)
福禄寿  1名(頭にザルの帽子をつける)
寿老人  1名(杖をもつ)
○内容
子ども達が行う。年長者の家を輪番でエイショに決め、七福神にふん装後、地区内の各家を回る。もらい受けた餅を煮餅にして食べ、翌日はエイショに朝から集まり、昼にはぜんざいにして食べた。
 また、道具や衣裳を借りた家には餅を添えて返礼をする。
 ○詞章
各家には、全員で「七福神の入り、七福神の入り」と数回叫びながらあがりこむ。
座敷などに車座となり、各神々が次の順で詞章を述べる。
大黒天  「大黒天の金銀をどでんどっさりとうったてまつる」
恵比須  「恵比須三郎左衛門殿は金のつり竿五色の糸で大きな鯉をつりこんだ」
     「つりこんだ」
毘沙門天 「毘沙門天の隅から隅まで悪魔払う」
布袋   「福は内に入れ」 「内に入れ」
福禄寿  「そうとも そうとも」
寿老人  「ごもっとも ごもっとも」
鬼まめふり「君のめぐみぞ」 全員 「ありがとう」 全員 「ありきぎみ恵みぞありがたき」
 以上を2回繰り返し、2回目の最後は「鬼は外 福は内」と全員が唱えて立ち上がり、鬼まめふりは三宝にのせた大豆を2握り部屋中にまき散らす。この大豆を食べると1年間無病息災であるとされる。なお、佐賀県内には三瀬村、千代田町などでも行われている。期日は正月7日、2月7日などであり、旧正月の行事として実施されているところもある。

出典:川副町誌P.756〜P.758