西川副小学校

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西川副小学校

■所在地佐賀市川副町大字西古賀979
■登録ID2000

〇明治7年 南里(啓蒙)小学校で南里全村、東古賀、米納津の生徒を道免(九思)小学校は
西古賀、鰡江、道免、鹿江の生徒を、また、久町(三省)小学校では久町、小々森、
舟津広江波佐古の生徒を収容するため3ヶ所にそれぞれ小学校が創設された。
〇明治14年 米納津が分離し、早都栄小学校に合併
〇明治17年 東古賀が分離し、早津江校に合併
〇明治18年 学区改正により元川副郷(西川副、大詫間、南川副、中川副)をもって6番学区と
称する。
〇明治19年 規則の改正(1学区3校を置く)で早津江に1校設置、盈進小学校と称する。中等3級
以上及び高等科を置き、他は分教場とする。尋常小学、高等小学を各4年とする。
〇明治20年 学制の改正により、高等科、尋常科の二制(早津江に高等科及び尋常科、並びに
尋常4年以上を置く。その他は分校として尋常三年以下の教授をする。)
〇明治22年 町村制の実施に当たり、3校区域(鹿江、波佐古を除く)村となり、西川副となる。
学制の改正により高等小学校、尋常小学校の二種に区別、川副郷一円をもって
高等小学校(中川副村福富)とし、各分校を尋常小学校とする。
盈進尋常小学校と称する。
〇明治23年 小学校令発布。教育に関する勅語謄本下賜せられる。
〇明治25年 教育令及び施行規則の実施により、当村中央に一校設けることになる。
(現在地)初代校長に小出光多氏が就任。
〇明治26年 校舎建築(道免廃校、南里久町校は2年以下を置く)
〇明治33年 盈進尋常小学校を改名して、西川副尋常小学校とする。
〇明治34年 南里、久町の2分校を廃止し、更に両地に分教場を設け、1学年児童の教授をする。
〇明治41年 小学校令一部改正の結果、義務教育年限6年に延長され、本校は6年修業尋常小学校
となり、12学級を編成。
〇大正5年 北川副ほか6カ村組合立川副高等小学校の組合解散とともに廃校になり、
高等科を設置して西川副尋常高等小学校と改称。
〇大正8年 西川副農業補習学校を併設。
〇昭和16年 国民学校令実施 西川副村西川副国民学校と改称
〇昭和22年 新学校制度(六・三・三・四制)により、西川副立西川副小学校と改称。
〇昭和31年 町村合併により、川副町立西川副小学校と改称。
〇昭和34年 川副中学校竣工に伴い、西川副中学校移転。
〇昭和35年 5月、給食室を設置し給食開始。
〇昭和43年 鉄骨2階建て14教室竣工。工費3,926万3千円
〇昭和44年 体育館竣工 工費2,914万2千円
〇昭和45年 学校給食共同調理場の設置に伴い、学校での調理を廃止。
〇昭和47年 交通安全教育センター完成
〇昭和49年 創立百周年記念式典挙行。校旗、校歌の制定
〇昭和52年 県教育委員会より「学習指導(52・53年度)について研究委嘱を受ける」
〇昭和53年 「ひとりひとりを生かす学習指導-国語科における読みの指導」について研究発表を
する。
〇昭和54年 文部並びに県教委より道徳教育(54・55年度)の研究委嘱を受ける。
〇昭和56年 鉄筋3階・管理特別教室竣工
〇昭和59年 「ひびきあう、高めあう子どもの育成-主として特別活動を通して」について
公開授業研究をする。
〇平成3年 交通道徳の高揚をはかり、交通事故防止に努めたため、佐賀県交通安全協会・
佐賀県警察本部長より表彰を受ける。 
  第27回小・中学生書道コンクールにおいて、優秀な成績を収め、佐賀県教育長賞を
受ける。
〇平成5年 諸富警察署より「自転車安全利用モデル校」の指定を受ける。
〇平成6年 パソコン導入及びパソコン室の開設
  文部省並びに県教委より道徳教育(6・7年度)の研究指定委嘱を受ける。
〇平成7年 文部省より学校保健統計調査実施校(7年度より)の指定を受ける。
  文部省指定、県教委・町教委委嘱「豊かな心を培う道徳教育」の研究発表会
〇平成11年 南校舎2階建及び児童用昇降口の起工式を行う。
〇平成12年 南校舎・児童用玄関竣工・北校舎竣工
〇平成14年 特殊学級「みどりの学級」新設
〇平成15年 校舎敷地南西部の歩道工事に伴いフェンス設置
〇平成19年 東校門と南校門の門扉設
      市町合併により校名を佐賀市立西川副小学校に改称
〇平成20年 給食会計が「公会計」から「私会計」にかわる。

出典:川副町誌 p.698~702

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