相應津

相應津

■所在地佐賀市西与賀町
■年代近世
■登録ID196

本庄江に面しており、近世に入って発達した津で慶長絵図(1596〜1615)には村名の記入がなく土地の造成された様子もない。また、正保絵図(1644〜1648)にも村名がない。安政4年(1857)の川副、与賀、嘉瀬津諸目安によると、相應津は上町と下町に分れ、津なので村の庄屋に相当する別当の支配を受けていた。上町は船23艘で人別は448人であり、その内訳は男239人女209人で戸数87軒で、侍2、手明鑓3、足軽6、諸家来31、御船手4、寺1、山伏1、被官2、百姓37となっている。上町は、商業か日雇いなどの職または漁業に従事していたと考えられる。下町は船数39艘で人別は512人で、その内訳は男264人女248人で戸数95軒で、足軽7、諸家来41、御船手2、被官5、百姓40となっている。
上町同様に足軽や諸家来が多いが、上流の今津に比べて御船手(水軍の船頭)が少ないのは、今津が佐賀藩水軍の基地であったのに対して、漁港または商港の性格が強かったからであろう。

出典:西与賀の歴史とその周辺p6