銅像園の想い出

銅像園の想い出

■所在地佐賀市多布施四丁目4-3(上多布施東部)
■登録ID1928

 昭和年代の初め、現在の多布施4丁目、宗智寺及びその周辺一帯は「銅像園」の名称で呼ばれていた。
 銅像園の中央に石垣の高台が築かれていた。十数段の石垣を登ると、佐賀藩の藩祖、鍋島直茂公(1538〜1618)の鎧、甲冑姿の騎馬像があった。大正13年(1924)、直茂公が晩年暮らした寓居跡に建立されたものである。
 また、銅像の南側に水泳プールが設けられていた。古い写真を見ると、南北に幅25m、東西に50m以上、コンクリート製の当時としては立派なものであった。水は多布施川水路から南側取水口に取り入れ、北側の排水溝に流した。県内外の中学校、青年団の選手が参加し水泳競技会が開催された。しかし、昭和初期になると、多布施川は生活、衛生面から取水が制限されるようになり、昭和10年代には荒れたままになっていた。
 昭和12年、日中戦争が始まると銅像園で出征兵士を見送る光景が見られた。元亀元年(1570)
佐賀城の浮沈を賭け、今山(現在の大和町付近)の戦いで勝利して凱旋する直茂公の勇姿像にあやかり、戦勝を鼓舞するものであった。
 戦時中、銅像は軍に供出、プールも埋められ当時の面影はない。しかし、「銅像園」は幼き日の郷愁として記憶に残っている。

出典:地区の人の解説