大興寺

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■所在地佐賀市神野東三丁目10-3(三溝)
■年代近世
■登録ID1885

 黄檗宗 瑞龍山 大興寺
【開創】
  天和3年(1683)本寺の前身、神埼の朝日山安国寺末の即宗庵を再興許可、3年後の貞享2年(1685)3月に諫早家4代茂真の室鍋島山城直弘女、伊勢菊[天保2年(1645.5.3)〜元禄9年(1696.7.11)戒名・霊光院殿聴松実操大姉]が勧請開山となる桂巌明幢(けいがんみょうとう)禅師に帰依して開基となり、元禄14年(1701)6月に当時の寺社奉行、小城の臨済宗三間山円通寺の直触となり、元禄16年(1703)9月に同寺末の廃寺大興寺の寺号を取り、「大興寺」と改名された、と済家宗由緒などに記述されている。
【沿革】
 諫早家の往来が盛んだった江戸時代には、「七間四面の本堂、四間に四間の禅堂(雲水の修行道場、坐禅堂)、庫裡、鐘堂、鼓堂、楼門など、伽藍完備し、寺門頗る繁栄したもの」との記述が残る。が、明治維新後諫早家は撤退、急速に寺は衰退し、明治14年には本堂が売却される事態、加えて台風等の自然災害も重なり、一旦は住職も途絶えてしまう。
 明治末に寺領復活、先年までの景観を保った庫裡本堂等が整えられた。昭和40年頃の区画整理時までは、鳥居式石門(山門)は現在地より約3m南にあり、参道は桜並木で、花見の季節には店がならぶ賑わいがあったという。
 平成18年2月13日未明の失火により本堂、方丈が消失。多くの寺宝まで瞬時に失い、再度、再興の機縁に遇う。新本堂は平成21年度に竣工、再建された。
【石門の様式】
 大興寺の門柱式の石門は、旧肥前国内に限って集中してみられる。江戸時代に流行した禅宗の一派である黄檗宗とともに広がった中国趣味をよく反映していて、他には、霊源院(長崎市)、性空寺(諫早市)、普明寺(鹿島市)などがある。
 大興寺の石門には、天保6年(1835)の刻銘があり、これら石門の門柱式の形式も垂直性の強い中国的造形と考えられる。

出典:大興寺からの解説

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