八丁畷の由来

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八丁畷の由来

■所在地佐賀市日の出1丁目
■登録ID1863

 八丁畷は、「八丁の畷」とも読める。畷とは、耕作地間の「あぜ道」のことを言い、おそらく下高木宿から三溝宿まで八丁の間隔があったことから「八丁畷」と呼ばれたのではないだろうか。
 ここ八丁畷地区は、もともと高木瀬村東高木と同じ行政区だったが、第55連隊の兵営が出来たことによって自然に分断される形になっていた。
 昭和36年に正式に分離して八丁畷区が誕生した。

出典:日の出1丁目中島氏記述