八丁畷の水利形態

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■所在地佐賀市八丁畷及び日の出1丁目
■年代無し
■登録ID1860

 八丁畷は、もともと純農村地帯で、国道263号線(以前は往還と呼ばれていた)の東側に5戸、現国立病院の東側に7戸の専業農家があった。
 そのほか国道の両側に非農家と商店があり、南に「あかかべ酒造」、製紙会社(当時、マオラン会社)の工場があり、現在の県警機動隊の所に「グンゼ」があった。
 農家の基礎収入は米代金で、米作りには水が絶対必要である。この地でも大井手水利組合が設立され、北山ダムの負担金も一部拠出し、ダムの完成で大きな恩恵を受けている。
 この地域は小寺川水系と呼ばれ、石井樋から取水、長瀬を経て上高木、下高木の国道西側の県営水路で館橋に至り、ここから東高木に入って兵営の北側から東側を経て八丁畷に達している。
 農地は何時頃整備されたのかは定かでないが、東高木から五本の南に流れる水路があった。
 第55連隊の兵営が出来たことで、東西の水路に振り分け取水しており、大体が自然灌水であった。
南に下るに従って少し段差があり、水路の要所要所には堰が設けられ、必要に応じて堰止め取水、自然灌水をしていた。(現在、総合庁舎の南には今も水田があり、その状態を見ることができる。)
 当時組織されていた生産組合は、この水路の清掃、補修には多大の労力をかけていた。

出典:日の出1丁目中島氏記述