旧練兵場及び土取

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旧練兵場及び土取

■所在地佐賀市日の出2丁目
■年代近代
■登録ID1854

 日露戦争直後、陸軍兵舎、練兵場及びその造成盛土用地として、当時「高木茄」の特産地としても有名な優良農地を含む約40町歩(40ha)のうち、下高木地区が、土取場と共に最も広く強制買収され、民家数戸が村外、県外へ転出した。
 また、土取場となった南寄り地域に「大神宮さん」と通称言われた所の石祠4~5祠も近隣民地に移転を余儀なくされ、うち2基は現存する。
① 「天照皇大神」・・・・・・・・・・・・・小川春恵氏宅の庭に
(安政四年巳十月 庄屋利助、村役幸吉)
② 俗称、お三夜さん「月読尊(月夜見命)」・・市丸賢太氏宅の庭に
(明治4年末6月吉日、野口為助、永田惣助、野方丈七、久保伊興)
 軍、民境地にあった川にかかる橋は、練兵場橋、土取跡にも土取橋(陸運事務所南東)、蓮堀橋に名前が残る。昭和に入り、日支事変の昭和12年までは、5月に軍旗祭といって一般にも兵営練兵場が開放され、入場でき当日は、日峯さん祭りと並ぶ盛会と、佐賀の名物行事だった。
 昭和20年8月5日夜、(広島原爆投下の約10時間前)米軍の佐賀空襲で現練兵場橋東、約100mで被弾兵隊数人死亡、橋南約50mにあった軍、土木作業員、飯場が全焼。
 昭和20年秋、占領軍駐留は、数年後に撤退したため、県農業試験場(昭和40年代前半、川副町へ移転)となり、毎年10月の農事参観デーは、名物行事となっている。
 土取跡の池沼は、南北が蓮堀に、中間の約2町歩が県淡水魚試験場となり、毎年11月の「ホイホシ」(堀干し)は有名。(草魚、ドイツ鯉、雷魚はここより拡散)

出典:若楠2丁目市丸氏解説