宗善寺

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■所在地佐賀市高木瀬町大字東高木1356番地
■登録ID1782

 豊楽山 宗善寺(曹洞宗)
 開山 太圭宗椿和尚
 宗善寺には、大般若経六百巻がある。これは天保の頃、檀信徒の奉納によって揃えられたものであって、所蔵の木箱には牛島町武富大右ヱ門と誌されている。
 この大般若経による御祈とうは無量の煩悩を取捨し、宝藏、社頭、家内、武運長久を祈るものであって、特に御祈とう文の中に庖瘡軽安なる文句がある所から見ると、古へ如何に庖瘡がまん延し、民衆がほうそうのために苦しめられていたかを物語るものである。御祈とうは法憧開基の牛島町武富氏の家宅を始め、上渕、下渕、東渕、徳永、友貞、二又、百石に及び百石村では正月15日が恒例とされ、現在でも2月の第1日曜に執行されている。
 二又でもつい数年前まで行われていたという。若者達は大般若経を担ぐことを息災延命の祈願の一つであるとして争って志願していたという。
 さて宗善寺において、特筆大書すべきものは、キリシタン燈ろうがあることである。この燈ろうを織部燈ろうであるとする説もあるが、織部燈ろうは桃山時代の茶人古田織部が美術品として考案したものといわれるが、この燈ろうについて昭和43年11月キリシタン燈ろうの研究家、鳥取市立民俗美術館長、松田重雄氏が鑑定された結果、宗善寺のものは全国で2番目に貴重なものと判った。
 宗善寺の燈ろうは、笠石、あかり窓はないが、竿石の上部がふくらみ、竿石の上部にラテン語の〝父〟を意味する「ペイトリー」(PATRI)が刻まれている。下部にはガウン姿の男立像が刻み込まれている。さらに側面には、「岩松天風心来吟」、裏面には「錦上花舗又一重」の詩句が読める。これらの詩は松田氏の話では信者の「聖霊」といわれるもので、詩句がはっきりしているのは全国では東京、目黒の大聖院についで二番目の貴重な資料といわれる。つくられた時代はキリスト教弾圧がきびしくなった江戸前期の寛永、正保、慶安(1624-1647)ごろのものらしく、同氏はこの燈ろうを擬装時型と分類していられる。(昭和43年12月4日毎日新聞より)燈ろうが墓碑の脇に安置されているところから、吉次住職の話では、開基信重の甥重治が、寛永15年(1638)原城におけるキリシタン一揆討伐戦で戦死しているので、多分この戦争における記念品として安置されたものではないかということである。
 正面参道の入口には、年代不明の立派な六地蔵が建っており、山門には明治35年10月吉祥日と書かれている。

出典:高木瀬町史P253〜267

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