高麗人塚

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高麗人塚

■所在地佐賀市金立町大字金立大門
■登録ID1742

 金立町大門の入口附近、観音寺塘の北側の田圃の西北隅にあり。
 元は直径56mの円墳であったが附近を耕やす人々が何時の間か削り取って現在は小さな円形の土盛となっている兎に角この円形の墳の前方に2基の石碑(墓石?)が南面して立っている。2基とも自然石の一面を加工して建てられたもので、1基には「逆修朝鮮国工政大王之孫金公之立石」と刻し右側に「寛永六天巳己道清禅定門」左側に「妻女同国金氏妙清禅定尼八月日」とあり。
 他の1基には「暁月浄雲禅門 位」と刻し両側に分字して「寛永五年戊辰九初五日」とあり。
 惟うに前者は夫婦者で後者は独身者であったろう。
 地区では高麗塚と言い伝えるのみで記録等残らず、只寛永初年の死である所から按ずると2基に葬むる人々は文禄の役に出陣した鍋島直茂公高麗より連れ来れる陶工の一部であること間違いなかろう。又鍋島直茂公は領内の城の附近で焼かしたという記録から見るも一部の陶工は此地に窯を設けて陶器を焼いたものを推定される。
 附近にある窯跡らしいものがあり更に金刀比羅山の西部にある小高い山を朝鮮岳と呼ぶ山は昔高麗人の陶工はこの山の陶土を焼いていたと古老の間に言い伝えられている。

出典:ふるさと金立(その2)p.4〜5