慈広寺

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■所在地佐賀市諸富町大字大堂1466
■年代中世
■登録ID1658

禅宗曹洞宗
山号 補陀山
本尊 薬師如来
開基 太田美濃守
開山 傅翁大宅和尚
沿革
当寺は清和源氏太田持資入道道灌より5代の孫である太田美濃守資元(浄泉)という人が、享禄2年(1529)一族郎党を従え、川副庄太田郷に下向し、その東部地区を領有し城を太田に築き田中城と号した。
浄泉は龍造寺剛忠に仕え川副東部の守りを固め、鎮守の森に太田六所宮を建立し、天文2年(1533)春日の玉林寺より傅翁大宅和尚を請し、開山第1世とし慈広寺を創建し、ながく香○(萊か)院とした。
創建当時より明治初年までは七堂伽藍が完備し、鍋島家累代の菩提所であったが、明治維新後武家の衰亡とともに寺門も衰え、山門、庫裡、倉庫、禅堂等売却され伽藍の規模を縮少された。
その後大正9年庫裡の再建、大正15年庫裡の増築、本堂の大修理がなされたが往時の面影を見ることはできない。
境内廟所には開基浄泉居士以下、歴代の墳墓鍋島勝茂の姉瑞光院月昌妙高大姉、納富能登守家景の家臣、天正12年(1584)3月島原の乱で戦死した勇士三十余名、鍋島茂貞の家臣寛永15年(1638)正月有馬原城の役に戦死した当家一族の墳墓等がある。
境内には樹齢約500年といわれる大蘇鉄の木がある。また、ビルマ仏ネカル尊像、太田家代々の肖像画、江戸平定出陣中のお供日誌等古文書がある。

出典:諸富町史P.1258

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